超 無 撚 糸 ーバスタオル半分時代、双葉町だからできたことー
日々の生活に欠かせないものはたくさんありますが、タオルもそのひとつ。
朝起きて顔を洗うとき、日中運動をして汗をかいたとき、夜お風呂から出て身体を拭くとき。多くの人が毎日数回は手にするのではないでしょうか。
そんなタオル、みなさんはこだわって選んでいますか?
私はこれまで特にこだわりはなく、3枚セットで○○円といったお買い得のものや、粗品や引き出物でもらったタオルをパキパキになるまで使い倒していました・・・。
しかし、最近手に入れたこちらのタオル「わたのはな」。
名前のとおり肌触りは綿のようにふわふわで、お風呂からあがって最初に左腕を拭いた瞬間、というより撫でた瞬間、腕に付いていた水滴があっという間になくなるように感じました。初めて経験した吸水性です。
こちらのタオルを販売しているのは「浅野撚糸株式会社」。
浅野撚糸は岐阜県安八町に本社がある撚糸の会社で、2023年福島県双葉町に工場を新設しました。その名前は「フタバスーパーゼロミル」。
フタバスーパーゼロミルは、浅野撚糸が5年の歳月を費やして完成させた特許技術による魔法の糸「SUPER ZEROⓇ」を製造する大規模撚糸工場です。
「魔法の糸」「スーパー」と聞くと、なんだかすごそうということは想像できますが、いったいどのようなものなのでしょうか。
そもそも「撚糸」とは何かご存じでしょうか。
日本化学繊維協会のHPによると、撚糸とは読んで字のごとく「糸を撚ること」で、「撚る」とはねじりあわせること。
糸の最小単位、たとえば蚕が作りだす生糸はそのままでは非常に細くバラバラになってしまい扱いにくいので、生糸の束に軽く撚りをかけることで、私達が普段想像するねじられた一本の糸が作られます。
”腕によりをかける” ”よりを戻す” という言葉はここから派生しています。
そして、その撚りをかける回数を変えたり、太さの異なる2本の糸を撚り合わせたり、回転の方向を変えることによって風合いや肌触り、強度などに変化がもたらされます。
浅野撚糸の魔法の糸「SUPER ZEROⓇ」は、綿糸と、お湯に溶ける水溶性の糸を合わせたものを普通糸とは逆方向にひねり、その糸をお湯につけて、水溶性の糸だけを溶かして作られます。すると残った逆方向に撚られた綿糸は、元に戻ろうとする反動でパーマがかかったように大きく膨らみ、そこに空気が入り込むことによってふんわりとした仕上がりの糸ができあがります。
この魔法の糸「SUPER ZEROⓇ」の技術を持った浅野撚糸の工場が2023年に福島県双葉町に誕生しました。
福島第一原発事故の影響が残る双葉町に工場を建てるまでは、浅野社長やご家族には、非常に葛藤があったそう。
(立地に至る経緯や浅野社長の想いなどは復興庁の事例集に詳しく書かれていますのでぜひご一読ください。)
ぜひその素晴らしい技術と福島にかける想いについてお話を聞いてみたい!
ということでフタバスーパーゼロミルにやってきました。
フタバスーパーゼロミルでは一般のお客様の施設見学や、修学旅行、企業研修などを数多く受け入れています。
その数、月平均400名!多いときには月に800名にのぼることも。
施設見学のあとは、双葉事業所で働く方にお話をお伺いしました。
お伺いしたのは所長補佐の土屋 輝幸さんと、広報の子安 結愛華さん。
従来の無撚糸タオルとはまったく異なる「超無撚糸」
さっそく、冒頭でご紹介した、8月に新たに発売されたタオル
「わたのはな」についてお話をお伺いしました。
わたのはなの最大の特徴は、触った瞬間にわかるふわふわ感です。
そしてこのふわふわ感の秘訣こそ、浅野撚糸が独自に開発した「超無撚糸」によるものです。
「無撚糸が撚らない糸だとしたら、超無撚糸はまったく手をかけない糸?綿っていうこと??」
最初に超無撚糸という言葉を聞いたとき、率直にそう思いました。
しかしそうではありません。
無撚糸とは、普通糸ほど糸を強くねじらずに緩く撚り、綿に近い状態でやわらかくほぐされたものを言います。
そして、それをさらに緩めたものが綿の状態となり、この状態は完全無撚糸と呼びます。
そしてそして、その綿の状態を超えて無撚糸とは逆方向に回転させたものが「超無撚糸」になるそうです。
「この技術はもともとSUPER ZEROⓇの技術を応用しているため、特許の技術範囲内で世界初の技術と言えるんです。」
SUPER ZEROⓇの技術を活かすことによって無撚糸の弱点であった毛羽落ちや耐久性の問題を解決し、無撚糸を超える肌触りと吸水性を実現することができました。
「わたのはな」には8種類のラインナップがあり、糸の撚り数、太さなどそれぞれ特徴があります。
おふたりのおすすめは№4と№6。
ほとんどわたに近い感覚の、まさにふわふわの中のふわふわ。
私も毎日使用していますが、本当に顔をうずめたくなるほどの柔らかさです。(パキパキのタオルを使っていたころに、顔をうずめたいと思ったことは一度もありません。)洗濯をするたびにパイルが開くため、糸の撚り数によってタオルの肌触りの変化を楽しむことができます。
また№4は太糸を、№6は極細糸を使用しています。太糸は吸水性が格段に上がり、極細糸は肌触りがなめらかになるというそれぞれの良さを兼ね備えています。
そして、浅野撚糸のバスタオルの特徴は、吸水性に優れているため、通常のバスタオルに比べて大きさが半分になっていること。
半分の大きさにすることで、使用する綿花の量や洗濯の水・洗剤の量などを減らすことができます。さらにわたのはなは通常の無撚糸のタオルより耐久性が高く長持ちするので、SDGsにもつながります。
個人的には、干す際に普通のバスタオルの半分しか場所をとらないこともうれしい点の一つでした。
双葉町だからできたこと
さらに今回のお話の中で一番驚いたことは、この超無撚糸は双葉町に立地したからできた技術なんだということ。
超無撚糸の開発は10年前から岐阜本社で行っていたそうですが、最終工程で行うスチームセットの機械の環境が整わず、理論的にはたどり着いていたものの成功させるためには大きな設備投資が必要でした。
今回、双葉町での工場新設にともなう機械の導入を機に再び開発に挑戦。
同じスチームセットの機械を使用しているものの、スチームセットに利用する双葉町の井戸水の温度が、まさに超無撚糸を作るのにぴったりだったため、この超無撚糸を開発することに成功したそうです!
さらに双葉町に立地した効果は、海外企業との取引の際にも有効に働いて、双葉事業所をオープンしてから4カ国の企業とパートナー契約に至っているとのこと。
製品の質の良さはもちろんのこと、福島復興にかける想いに共感してくれる企業から声がかかったり、社会貢献に対する感度が高い海外企業にも自信を持ってアプローチできるようになったそうです。
「ほかの地域であれば成功していなかったかもしれない、双葉町だからこそできたことです。」
土屋さんの力強い言葉が印象に残っています。
双葉町で働くこと
今回お話を伺った子安さんは、浅野撚糸の本社がある岐阜県の出身で、高校卒業と同時に入社しました。現在は、広報業務をメインに見学の案内係や事務作業などさまざまな業務を行っています。子安さんご自身の想いや働き方について、お話を伺いました。
ーー入社前は双葉町とのゆかりはなかったそうですが、どういった経緯で双葉町に来たのでしょうか。
(子安): 1年目は岐阜の本社や東京の南青山の店舗で働いて、2年目から双葉事業所に来ました。会社から双葉事業所で働くことへの意思の確認があり自分で行きたいと志願しました。
来たいと思ったのは直感です。工場や事務仕事などいろいろなことができると聞いて、親元を離れて、双葉町で新しいことに挑戦してみたいと思いました。
ーー双葉町は福島第一原発事故があった地域でもありますが、どのような
イメージを持っていたのでしょうか。また親御さんの反対はなかったのでしょうか。
(子安): 福島に来るまでは地震や津波があった場所というイメージしかなく、10年以上経っているので、もう賑わいを取り戻しているのかと思っていましたが実際は震災直後のままの建物も多く、来て初めて知ることばかりでした。双葉町で働くことについては、社長から両親へ安全性の説明もあり、両親も背中を押してくれました。
ーー福島での暮らしはいかがですか。
(子安): 最初は双葉町に住んでいましたが、任期を延長したこともあり、現在は南相馬市に住んで車で通勤しています。岐阜に住んでいたころも、周りは田んぼしかないような田舎だったので、ここでの生活とのギャップが少なく、特に困っていることはありません。強いて言うならお店が早く閉まってしまったり飲食店が少ないことは少し不便ですね。笑
こちらで同年代の知り合いが少なく寂しく思った時期もありましたが、最近では年齢が近い新入社員の子が入社してきているので、休日は一緒に遊びに行ったり体育館を借りて運動したりして楽しく過ごしています。いまは双葉町での任期の再延長も考えています。先のことはあまり考えていないのでどうなるか分かりませんが。笑
地域とともに進む企業に
取材当時、双葉事業所では24名の従業員の方が働いており、工場には9名の方(うち4名がベトナムの方)が配属されています。
あれだけ多くの機械が稼働しているのに9名で工場を動かしているとは驚きです。
地元雇用にも力を入れています。
工場新設当初、岐阜県では知名度はあったものの福島県での知名度はそれほど高くなく、採用にも苦労したそうですが、土屋さんが足繁く地元高校などに説明に行ったことも功を奏し、徐々に地域内での知名度があがり来年度も数名新卒採用が決まっているそうです。
ちなみに双葉事業所にはカフェも併設されており、飲食店が少ない双葉町の貴重な地域の交流スペースになっています。
タオルやさんではなく糸やさん
「エアーかおる」や「わたのはな」など看板商品が有名なのでタオルの会社と思われることもあるそうですが、「うちはタオルやさんではなく糸やさん」と語ります。
現在アパレルメーカーや量販店、海外企業からのお引き合いもあるそう。
さらには、フタバスーパーゼロミルにある20台の撚糸機の稼働率をあげて量産体制も整えていくとのこと。
これからも世界に誇る糸やさんとして、『腕によりをかけて』双葉町から世界へオンリーワンの価値を届けていく浅野撚糸の取組に期待しています。
(さいごに)
浅野撚糸への訪問のあと、双葉町の現状を知るために町内を巡りました。
2011年3月の東日本大震災および福島第一原発事故により全町避難が行われていた双葉町ですが、2022年8月に帰還困難区域のうち特定復興再生拠点区域の避難指示が解除され町内での居住が可能になりました。
また浅野撚糸も立地する中野地区復興産業拠点では20社以上の企業が立地し、現在も整備が進められています(令和6年時点)。
ほかにも双葉駅の営業再開やホテルの建設、震災後初めてのスーパーの開業が決定するなど着々と復興に向けた動きが進んでいます。
みなさんもご自身の目で町の様子を見に、双葉町を訪れてみてください。
文:リトマス紙