【創業】公務員を定年退職してピッツァ店をはじめた石田さん。原点はイタリア・サレルノ市にあったのだ。(岩手県遠野市)
岩手県遠野市にあるピッツァ店「ピッツェリア&バル ノンナアンナ」は、イタリアから取り寄せた石窯を使って焼き上げられたピッツァが絶品の人気店だ。
店主の石田 久男さんは、遠野市役所を定年退職後にピッツァ店を創業したという意外な経歴を持っている。
今回は、石田さんが創業にいたるまでの背景と、石田さんを陰で支えた遠野商工会に焦点をあて、「ピッツェリア&バル ノンナアンナ」の創業ストーリーに迫る。
○岩手県遠野市へ
岩手県遠野市は、豊かな風土が育んできた文化が脈々と受け継がれる地域で、「日本のふるさと」とも言われる。
そんな遠野市だが、実はイタリア・サレルノ市と姉妹都市という国際的な一面も持っている。また、2017年から地域おこし協力隊員を受け入れている。地域住民と移住者が協力して、豊かな地域資源を活用した地域おこしに取り組む地域でもあるのだ。
○ピッツァ店創業の背景とは
石田さんは、元・遠野市役所職員だ。
移住支援や都市間交流、交流人口拡大や文化振興などを担当する部署で部長を歴任し、2022年に遠野市役所を定年退職した。
市役所時代にイタリア・サレルノ市との交流事業に携わったことが創業のバックグランドになったそうだ。
○遠野市とサレルノ市の運命的な出会い
遠野市とサレルノ市は、昭和59年(1984年)に姉妹都市提携を結んだ。
映画『遠野物語』(村野鐵太郎監督)が、第35回イタリア・サレルノ国際映画祭(1982年)でグランプリを受賞。当時のサレルノ市長が、映画で描かれた遠野の美しい風景に魅せられ、“遠野市と姉妹都市になりたい”と、村野監督に親書を託したことがきっかけになった。
遠野市で連綿と続いてきた人々の暮らしが、柳田國男の「遠野物語」(1910年発行)として昇華され、両市をつないだと考えると、不思議な縁を感じてしまう。
石田さんは、26歳の時にサレルノ市との交流事業の一環として、10ヶ月間サレルノ市に派遣された。
――どのような経緯でサレルノ市に派遣されたのでしょうか?
(石田さん)
「姉妹都市を提携した当時(1984年)は、サレルノ市とやりとりをするために特殊な電話回線を組まなくてはならなかったし、都度、仙台や東京から通訳を呼ばなければならず大変でした。そこで、“職員を現地に派遣すればイタリア語を覚えて帰ってくるだろう”という話になって、サレルノ市に派遣されることになったんです。」
イタリア語が十分に話せない中で、サレルノ市に一人派遣された石田さんを温かく迎え入れてくれたのは、サルバトーレ・フォルテ副市長(当時)と妻・アンナさん夫妻だった。
サレルノ市役所に通う日々を送りながら、夫妻の家では、アンナさんが手料理をふるまってくれたそうだ。
派遣終了後、石田さんは30年間渉外担当としてイタリアとの交流事業に携わった。プライベートでもサレルノ市を訪れ、フォルテさん夫妻との親交は今も続いている。
○サレルノ市への想いを形に
石田さんは、サレルノ市と長年の交流の末、定年退職後に一念発起してピッツァ店を創業。退職後の選択肢としては魅力的だが、簡単な決断ではないと思える。
――現在使用されている石窯は20年前にサレルノ市で購入されたと伺っていますが、お店を出す構想は、いつから考えていたんでしょうか。
(石田さん)
「石窯を購入した当時は、定年退職後のことは考えていませんでした。
サレルノでの思い出を証として残すために、約20年前に石窯を置けるスペース(現在の店舗)は作ったんですが、しばらく使っていなかったんです。
きっかけになったのは、退職を控えた頃ですね。東京のダイニングバーに勤務していた次男から“石窯を使って一緒にピッツァ店を開業しないか。せっかくの石窯を使わないのはもったいないよ”と提案されたことでした。
これまで店を経営した経験は無かったですから、一人では難しかったと思います。長年お世話になったサレルノ市やフォルテ夫妻に恩返しがしたかったので、今こうして形になって良かったと思っています。」
石田さんの創業をフォルテさん夫妻も応援してくれたそうだ。
一人サレルノ市のピッツァ店で研修した際は、研修先探しにフォルテさんが協力してくれた。
研修先は地元の人気店で、ピッツァ作りとオペレーションのあらゆるノウハウを学んだそう。
○“地域の頼れる伴走者” 商工会のあたたかい支援
石田さんにとって、飲食店経営は初めての取組。
そこで登場するのが「商工会」だ。
石田さんが頼りにしたのは、遠野商工会で経営指導員を務めていた河内 夕希枝さんだった。
石田さんと河内さんは、市役所時代から20年来の仲で、一緒に仕事をしたこともあったそうだ。
「何か相談事があるなら河内さんかなと思った」
そのように話す石田さんと、少し照れくさそうに微笑む河内さんには、確かな信頼感が感じられる。
河内さんは、遠野商工会に26年間務める大ベテラン。
気さくで話しやすい人柄と、親身に寄り添った確かな支援力で、河内さんを頼りにする人は多い。
事業者の元を訪れては話を聞き、悩みに応える。時に事業者の背中をそっと押してあげる。そんな河内さんに影響を受け、事業者にも自ら行動する意識が芽生えていく。
年に1度、遠野商工会が主催している「経営計画実践事例研究会」では、経営課題の改善に臨んだ事業者自らが発表し、ノウハウをほかの事業者に共有している。
遠野市では、商工会による支援をきっかけとして、経営者間で意識を高め合う土壌が生まれているのだ。
石田さんは、事業計画作成や資金繰り、原価計算などで河内さんのサポートもあり、2023年2月に晴れて「ピッツェリア&バル ノンナ・アンナ」を創業した。
店名の「ノンナ・アンナ」はイタリア語で“アンナおばあちゃん”の意で、“イタリアでの母のような存在”として慕うアンナさんへの想いが込められた。
お昼休憩を利用してピッツァをいただきました。
ノンナアンナのピッツァは、アンナさん直伝のレシピを元に、サレルノ市から取り寄せた石窯を使って丁寧に焼き上げられる。
生地にはイタリア産小麦を使用。具材にはりんごをはじめ遠野産の食材を使用するというこだわりっぷり。
力士の手のひらくらいの大きさなので、一枚でも十分な満足感がある。
石田さんの想いが沢山つまったピッツァ。
たいへん美味しくいただきました。
○石田さんの想いは、次なる挑戦へ
「ピッツェリア&バル ノンナ・アンナ」の創業は、石田さんにとっての新たな挑戦のはじまりだった。
――河内さんの後押しもありながら、サレルノ市・フォルテさん夫妻への想いを形にされたんですね。今後はどんなことを構想しているんでしょうか。
(石田さん)
「イタリアの文化を広めていきたいと思っています。2024年は遠野市とサレルノ市の姉妹都市締結40周年を迎えることもあって、イタリアとのインバウンド・アウトバウンドの取組に携わっています。あとは、イタリア語教室ですね。市職員の時にも開催したことがあったのですが、人によって語学力のニーズはいろいろということが分かったので、今後はマンツーマンで個人に合わせたレッスンを行いたいと思っています。」
たたずまいはクールな石田さんだったが、言葉からは熱い想いが伝わってくる。
行政職員の後輩である私としても、身が引き締まるような思いでいっぱいになった。
(次回予告)遠野市に移住したデザイナーの阿部拓也さんにお話を伺います
【特集】What is “商工会”??
社会人になって(というかこの仕事をはじめてから)初めて聞いた言葉「商工会《しょうこうかい》」。
学生時代まで触れてこなかったので、最初は全くイメージが持てなかったけれど、商工会を知れば知るほどに、実は私たちの生活に近い、まさに縁の下の力持ちのような存在と思うようになった。
イメージが持てないという方に向けて、簡単に商工会のことをご紹介したい!
商工会の特徴①
「事業者の良きパートナー!~行きます・聞きます・提案します~」
商工会は、経理から販路開拓、創業など、地域の事業者のあらゆる経営相談に第一線で対応!他の支援団体とは異なる大きな特徴は、事業者との距離感が、とてつもなく近いということ。
事業者の元を何度も訪問しながら信頼を深め、一緒に夢や想いをカタチにしていくパートナーなのだ。
「行きます・聞きます・提案します」をモットーに、今日も商工会職員は現場を飛び回っている。
商工会の特徴②
「地域の盛り上げ役!お祭りも運営!?」
あまり知られていないが、お祭りなどの地域行事の運営は商工会が行っている場合が多い(何気なく参加していたイベントにも商工会が関わっていた!)。
また、移住定住の支援、まちづくりなど、地域によって様々な取組を実施。
事業者の経営支援を行う団体でありながら、地域振興の要としての役割も務めている。
商工会のことを知ることで、生活により身近に感じられる、そんな気はしないだろうか。
文:名探亭なんさいや
HP
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